LEITZ(レイツ)国産・海外ライカコピー10選+α! バルナックライカのそっくりさんはどんなフィルムカメラ?
中古カメラに興味を持つと、ライカコピーという言葉を聞くことがあるかもしれません。
ライカといえば言わずとしれた高級フィルムカメラ。
そのコピーとはどんなカメラなのでしょうか?
結論からいえば、ライカコピーとは「バルナックライカ」をコピーしたフィルムカメラのこと。
さらに、ライカコピーを盛んに製造していた国のひとつは日本なのです。
ライカコピーは、日本のカメラ産業が隆盛する大きなきっかけのひとつともなりました。
バルナックライカと同じ操作方法で使えるライカコピーは、中古の値段も本家ライカよりも安め。
それでいて作りの質が良いものも多いので、中古フィルムカメラならではの魅力を存分に楽しむことができますよ。
日本、ロシア、イギリス、アメリカ。
各国で作られたライカコピーには、いったいどんなものがあるのでしょうか?
今回は、そんなライカコピーについて徹底解説したいと思います。
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ライカコピー
バルナックライカをコピーした製品、ライカコピー。
いったいどんなカメラなのでしょうか。
そもそも、そんなものを作って問題はなかったのでしょうか?
ライカコピーとは
↑ニッカ5型
ライカコピーとは、ライカが戦前〜1950年代まで製造していた「バルナックライカ」をコピーしたフィルムカメラ製品のこと。
↑「本物」のライカIIIf
実用的な35mmフィルムカメラの始祖ともいえるバルナックライカ。
革新的なカメラだけに、その模倣品が生まれるのは当然のことでした。
しかし、単なるコピー製品に終わらなかったのがカメラの歴史の面白いところ。
日本のあのメーカーも、このメーカーも、じつはバルナックライカに大きく影響を受けたカメラが始まりだったりすることがあるくらい、ライカコピーはカメラ史上重要なターニングポイントとなっているのです。
バルナックライカについて詳しくはこちらをご覧ください。
ライカコピーはなぜ生まれたのか
ライカコピーが生まれたのは1930年代のこと。
バルナックライカの基本的な形態が完成した1930年代初頭には、すでにコピー製品が旧ソ連にて生まれています。
バルナックライカをコピーした製品は、その後1950年代にかけて作り続けられます。
最盛期は1950年代前半〜中盤といってよいでしょう。
1950年代後半になると、ライカコピーを源流としたカメラであっても独自の設計が多くなり、バルナックライカとは別の製品となっていきます。
ただし、ライカコピーの法的・パテント的な扱いは第二次世界大戦を挟んで大きく変わってきます。
完全なコピー製品を作っても問題がなくなるのは、第二次世界大戦後のことです。
戦前のライカコピー
1930年代初頭、上述したようにすでにライカコピーは製造されていました。
1932年には旧ソ連で距離計のないライカIのコピー製品(FED)が開始。
そして戦前の時点で、距離計を組み込んだライカDII相当の機種が相当数作られています。
こちらは、共産主義国家の旧ソ連で作られたということもあり、ライカのパテントを明確に侵害したものでした。
いっぽう、1930年代の日本でもライカに影響を受けた製品の開発・製造ははじまっていました。
その代表格が、精機光学(現在のCanon)の初の製品であるハンザキヤノン(HANZA Canon)。
しかしこのハンザキヤノンは、ライカのパテントである「距離系ファインダーの間にフレーミング用のビューファインダーを設置する」という内容を回避するため、びっくり箱と呼ばれるポップアップ式のファインダーを採用していました。
ほかにも、1940年に日本で製造されたレオタックスでは、距離計の2つの窓の間隔を狭め、フレーミング用ファインダーを外側に置くことでこの特許を回避しています。
ともあれ、戦前の時点ではライカ(Ernst Leitz)が保有していたパテントの存在は意識され、明確に権利を侵害することは避けられていたのです。
ところが第二次世界大戦に突入することで一挙に情勢は変わります。
第二次世界大戦とライカコピー
第二次世界大戦の開戦により、バルナックライカを製造していたドイツ(ナチス・ドイツ)はアメリカやイギリスなどの連合国の敵国となります。
すると、アメリカやイギリスでは大きな問題が生じました。
軍用に使用する小型カメラが足りなくなってしまったのです。
バルナックライカはプロの使用に耐えうる35mmフィルムカメラとして非常に貴重な存在。
当然、アメリカ軍やイギリス軍でもバルナックライカを大量に使用していました。
また他のカメラを調達しようにも、ライカのライバルであるコンタックス(Contax)も同じドイツの製品だったのです。
そこでアメリカやイギリスでは、民間人が保有しているバルナックライカを徴用して、足りなくなった軍用カメラの穴埋めをすることが行われました。
では、それでも足りない分はどうするか……。
そこでアメリカやイギリスで考えられたのが、ライカの完全コピー製品を製造するということなのでした。
ただし実際に完成するのは戦後のことも多く、むしろ戦時中のライカ不足の経験を活かし、自国で同等のカメラを作ることができるようにする、という色が強くなっています。
これらはアメリカやイギリスの高い工業技術により、本家ライカよりも上質な製品に仕上がっているという評価も受けています。
↑アメリカのライカコピー「カードン」
いっぽう日本も同様でした。
第二次世界大戦でドイツとは同盟国であったとはいえ、遠い海の先にあるドイツからバルナックライカを輸入することなどできるはずがありません。
日本でも、戦後にニッカカメラを製造する光学精機に、ファインダーの特許を無視した「ニッポンカメラ」を製造させています。
戦後日本のライカコピー
第二次世界大戦が終わると、ライカコピーは大手を振るって製造できる存在となります。
ドイツが第二次世界大戦で敗北したことにより、ドイツが保有していた特許・パテントが各国へ開放。
ライカが保有していたフィルムカメラ関係の諸権利も、他国で自由に使ってよいこととなったのです。
訂正:上記の「ドイツの敗戦によりパテントが開放された」という説については、誤っている可能性が高いと指摘されています。
実際には、ライツの持っていた実用新案の存続期間が終わったことが要因のようです[1]「M3神話解体試論 (2018.1.3版)」2022年7月30日閲覧。
さて、バルナックライカコピー製造の制約がなくなったことで大きな恩恵を受けたのは、皮肉なことにかつての同盟国であった日本でした。
第二次世界大戦後、極度のインフレと物資窮乏に襲われた日本。
そんな日本において、貴重な外貨獲得手段となったのがカメラ産業だったのです。
戦後の日本では、サンフランシスコ講和条約発効前の占領期からすでに、ニッカやレオタックスといったバルナックライカコピーが製造開始。
また、Nikon(ニコン)、Minolta(キヤノン)などの、独自性が強いものの明確にライカの影響を受けているレンジファインダーカメラも製造されはじめました。
戦前からライカの影響下にあるカメラを製造していたCanon(キヤノン)ももちろんそのひとつです。
1950年代前半が日本製ライカコピーの黄金期だといえるでしょう。
同時期には、各社がライカLマウント用の新型レンズを続々と発売。
カメラボディとレンズの双方で、日本製カメラのレベルが急速に上昇していきました。
1954年にライカM3が登場すると、日本製ライカコピーも各社それぞれ改良を行い、M型ライカの新機軸に追従します。
ライカM3は直接の競争相手でこそなかったでしょうが、1950年代後半に各社が行った改良が、明らかにライカM3の影響下にあったのは間違いないでしょう。
いっぽうで、1950年代後半になると一眼レフカメラが登場し始めます。
1950年代後半にはライカコピーを源流としたメーカーの撤退や倒産が相次ぎ、日本製ライカコピーの時代は発展的解消を遂げたのでした。
その後も続く旧ソ連のライカコピー
日本と並びライカコピー大国だったのが旧ソ連でした。
バルナックライカの完全コピーとして始まった旧ソ連のレンズ交換式レンジファインダーカメラ。
上級機のZorkiと大衆機のFEDという2つの流れに分かれ、FEDについては1990年代まで製造が続いています。
こちらも1950年代にはM型ライカに触発されたであろう独自の改良が施され、旧ソ連の共産主義華やかなりし時代ならではの、上質な仕上げが施されています。
ただ1960年代後半以降になると徐々に仕上げが低下。
FEDの最終型、FED5などはほぼトイカメラの文脈で語られています。
FEDやZorkiの専用レンズ、JupiterやIndustarは性能面で評価が高く、オールドレンズの入門用にいまも人気が高い逸品です(後述します)。
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ライカコピー一挙紹介 日本製編
それではここから、具体的にライカコピーにはどんな機種があるのか見ていきましょう。
まずは日本製のものから。
これから中古で購入する場合、手に入れやすいのは日本製のニッカやレオタックス。
いっぽう、他のバルナックライカコピーについては製造数が少なく、コレクターズアイテムとしてプレミアがついていることがあります。
1.Nicca(ニッカ)
↑画像はニッカIII-S
Nicca(ニッカ)は日本のニッカカメラが製造していたバルナックライカコピー。
戦中に「ニッポン」を製造していた光学精機が源流となったメーカーです。
特徴はその仕上げの良さ。
とくに1950年代初頭のニッカIII型は、バルナックライカ以上の仕上げともいわれ、さまざまなバルナックライカコピー型カメラのなかでももっとも品質のよいものといわれています。
構造的には基本的にライカDIII型の完全コピーにはじまったもの。
大きな改良としては1955年の5型で裏蓋がちょうつがい式の開閉となり、ボディもそれまでの板金からライカIIIc以降と同様のダイカストとなったことが挙げられます。
1950年代後半にはM型ライカを強く意識したニッカIIIL型で構造的にも革新を図りますが、すでに時代はコンパクトカメラと一眼レフカメラの時代に移行していました。
ニッカはヤシカ(Yashica)に吸収され、カメラブランドもヤシカ銘となります。
ヤシカYE
↑ニッカ33型はヤシカYEに。
Nicca IIIL(ニッカIIIL)
ニッカ独自開発としては最後の機種、Nicca IIIL(ニッカIIIL)はこのように、それまでのバルナックライカ型から大きく外見が変わったカメラでした。
機能面で有名なのは、M型ライカの影響を受けたことが一目でわかる裏蓋の開閉方法。
↓の画像のように、M型ライカそのものといえる中央部のみが開閉する構造になっています。
ニッカIIILにはその後、多少スペックダウンしたヤシカYFという後継機種が出ますが、これがニッカ・ヤシカの最後のレンズ交換式レンジファインダーカメラとなったのでした。
しかしながら、ヤシカがニッカを買収したことはカメラの歴史上非常に大きな意味を持っています。
ヤシカはそれまで、二眼レフや35mmのレンズシャッター機しか製造していませんでした。
そこでニッカを買収したことで、ヤシカはフォーカルプレーンシャッターのカメラを製造するノウハウを獲得できたのです。
実際、ヤシカは早い時期から一眼レフカメラに進出。
その後も紆余曲折はありましたが、1975年、カール・ツァイスとの提携、CONTAXの発売に至ることとなります。
ニッカとニッコール
ニッカの最大の特徴として、セット販売されたレンズが日本光学(のちのニコン)のニッコールだったことが挙げられるでしょう。
日本光学では自社でもレンジファインダーカメラのニコンS型を販売していましたが、こちらはコンタックス系の独自マウント。
レンジファインダーカメラの独自マウントのニッカにニッコールレンズが供給されていたことは、ニッコールレンズの高性能が世界に広まる大きなきっかけとなったのです。
Lマウントのニッコールがなければ、世界的カメラマン、D・D・ダンカンがニッコールを使い、その魅力を知ることもなかったでしょう。
もしこれからニッカを買うなら、ぜひニッコールつきを選ぶのがおすすめです。
2.Leotax(レオタックス)
Leotax(レオタックス)は、日本の光学機器メーカー、昭和光学(1956年にレオタックスカメラに改称)が製造していたバルナックライカコピー。
レオタックスはニッカと並ぶ日本製ライカコピーの代表格で、海外輸出も盛んに行われました。
レオタックス自体は戦前からスプリングカメラや、上述のライカのパテントを回避した機種を製造していましたが、戦後には完全コピーの機種を製造しはじめます。
品質としてはニッカには劣りますがけっして悪いものではないという評判です。
ニッカ同様、1954年のレオタックスFからはライカIIIc同様のダイカストボディに。
1958年のレオタックスFVでは巻き上げがレバー式となっています。
また後期の機種は、バルナック型のボディ形状のまま、ファインダーにアルバダ式のブライトフレームが入っているのも特筆できるところです。
↑バルナック型のままアルバダ式ブライトフレーム・レバー巻き上げ・クランク巻き戻しとなった機種のひとつ「レオタックス エリート」
レオタックスも1960年前後の荒波に消える
レオタックスもまた、カメラ自体の低廉化、コンパクトカメラの普及に押され1959年に倒産。
しかし、M型ライカの影響下で設計され完全に刷新された機種、レオタックスGが残された部品により1961年に債権者から発売され、わずかに販売されています。
レオタックスGは珍品カメラとして中古フィルムカメラ愛好家の間でコレクターズアイテムとなっています。
ただし発売経緯からか部品の材質が悪く、本来期待された性能は発揮できていないようです。
レオタックスと東京光学
ニッカがニッコールを採用したように、レオタックスは東京光学(トプコン)のトプコールレンズを採用したことで知られています。
いまではカメラから撤退して久しいですが、東京光学は名門中の名門メーカー。
戦中には海軍に光学機器を納入した日本光学に対して、東京光学は陸軍に納入していたことから、陸のトーコー・海のニッコーとして並び讃えられました。
そんなトプコールの高性能はLマウントでももちろん楽しめます。
コピーライカを使うなら、ぜひ味わっていたいレンズです。
3.Tanack(タナック)
↑Tanack IV-S
タナックは田中光学が製造したライカコピー。
日本製バルナックライカコピーのメーカーには明確な格があり、それにより作りの良さも大きく変わるのですが、タナックはそこまで作りがよいほうではありません。
基本的にはタナックのライカコピーはオーソドックスなバルナック型。
ですが、裏蓋が開閉式になっているなど後発組ならではの改良も施されています。
末期の機種は大きく見た目が変わった
ただ、末期に販売されたタナックSDとタナックV3はレバー巻き上げ、一眼式レンジファインダー搭載と、ライカM3以後のレンジファインダーカメラであることがひと目でわかる改良が施されています。
タナックSDはコンタックス風。
タナックV3はキヤノンのレンジファインダーに似ているものの角が丸められている、キヤノンとM型ライカの折衷的なデザインです。
しかし、企業として体力がなかったこともあり1959年倒産してしまいます。
タナックのボディには自社製のタナー(Tanar)レンズがセットになっており、中古で買う場合にはレンズがセットになったものを探してみるのもよいでしょう。
マイナーなレンズではありますが、田中光学はもともとムービー用レンズで知られていたこともあり、けっして悪いレンズではありません。
4.Melcon(メルコン)
Melcon(メルコン)は目黒光学のブランド。
日本製ライカコピーとしては格がかなり落ちるブランドで、作りはあまりよくなく、市価もその分安かった模様。
ただしマイナーな分現存数が少なく、中古価格は高めです。
特徴としてはI型の時点でダイカストボディであることが挙げられるでしょう。
改良されたII型はニコンレンジファインダー風の外観でレバー巻き上げ。
こちらもプレミア品です。
セットになったレンズは日本光学のニッコールとコニカのヘキサノン(Hexanon)です。
5.Chiyoca/Chiyotax(チヨカ・チヨタックス)
千代田光学精工が少数製造したバルナックライカコピー。
製造は下請けのライゼ光学が担当。
作りはかなり悪い部類です。
その後、ライゼ光学自ら、社名を三鈴光学工業と変え、同じものをアルタ35として製造した模様です。
レンズはヘキサノン付きが多いのですが、ライゼ光学によるライゼ50mm F3.5付きは希少なので見つけたら買いです。
6.Honor(オーナー)
瑞宝光学精機が製造。
初期はバルナックライカコピー、その後、タナックV3やメルコンIIに似た印象の改良版、Honor SLも送り出しています。
余談ですが、本来あまり情報のないマイナーメーカーながら、筆者はこのブランドを知っていました。
なぜかと思い記憶を紐解いたところ、新宿東口の某店にこのブランドのレンジファインダーがずっと並んでいるからだと思い至ったのでした。
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ライカコピー一挙紹介 海外編
では続いて、海外のライカコピーについて見ていきましょう。
7.Kardon(カードン/米国)
シビリアン・カードン
Kardon(カードン)は、ライカ不足に対応するために1945年からアメリカで製造されたライカコピー。
完成は戦後までずれ込みました。
内容は基本的にライカIIIaのコピー品。
レンズのヘリコイド繰り出し機構がギアになっていることに独自性がみられます。
このカメラはレンズが名品であることが有名。
名玉として知られるコダックのエクター(Ektar)の47mm F2が標準レンズとなっています。
多くは一般向けに市販され「シビリアン・カードン」と通称されています。
いっぽう、軍用の寒冷地用モデルもあり、こちらは「ミリタリー・カードン」と呼ばれています。
8.Reid(リード/英国)
↑リードIII型(軍用)
Reid(リード)はイギリスで製造されたライカコピーです。
製造は戦後で、戦時中のライカ不足を教訓として自国でバルナックライカコピーの生産を行うようになった経緯があります。
バルナックライカのIII型・II型・I型と同様、レンジファインダーとスローシャッターの有無でIII型〜I型があります。
↑リードI型
レンズはイギリスが生んだ名光学機器メーカー、テーラーホブソン製の2inch F2。
オールドレンズの名品として、レンズもとても珍重されています。
9.FED(フェド/ソ連)
FED(フェド)は旧ソ連で1930年代から製造されたバルナックライカコピー。
最初期はライカI型、のちにはライカDII型のデッドコピーからはじまり、その後独自の改良が施されつつ1990年代まで製造される息の長いブランドとなりました。
バルナックライカコピーと呼べる、見た目も使い方も同一なのはFED 1型まで。
レンズは沈胴式のIndustarが付いているものが多いです。
貼り革がグッタペルカや合皮と異なるプラスチックの樹脂を形成したものであるのも特徴。
FED2以降は基線長の非常に長い一眼式ファインダー、取り外し式の裏蓋など独自の進歩をたどり、FED5ではセレンによる露出計も内蔵されます。
↑FED2とFED5C
ロシアカメラのボディを手に入れる場合、もっとも手に入れやすいものといえるでしょう。
なお、FED1をベースに制作されたバルナックライカの偽物(フェイクライカ)もあるので注意。
ただしよくよく確認すればすぐにわかります。
10. Zorki(ゾルキー/ソ連)
※レンズは年代の合わない後年のもの
Zorki(ゾルキー)はFEDと並ぶ旧ソ連のライカコピーの代表格。
こちらもバルナックライカのコピーといえるのは最初期のものだけで、ゾルキー2以降は独自改良が施されまったく別のカメラとなりました。
基本的には中古で購入する場合、FEDと同等と考えておいてよいでしょう。
Zorkiのレンズ、Jupiterはオールドレンズの名品
ZorkiはFEDよりも上位のモデルとして製造されていたとみられ、機能的にも、改良後の機種にはFEDにはなかったスローシャッターが装備されています。
上位機種のため、FEDには50mm F2.8クラスがついていたのに対し、Zorkiには50mm F2クラスの明るいレンズがセットになっていました。
このレンズ、Jupiter-8 50mm F2は、製造数が多く安価ながら、とても性能がよいオールドレンズ入門にも好適なレンズとして非常に評判のよいものです。
その理由は、カール・ツァイスのレンズに源流をもっているため。
第二次世界大戦で勝利した旧ソ連が、ドイツ国内のカール・ツァイスの製造設備と技術者を自国に移転し、それで製造したレンズなのです。
Jupiter-8についてはこちらの記事で作例を紹介しています。
また広角レンズのJupiter-12 35mm F2.8も同様に非常におすすめできるレンズです。
【オールドレンズ探訪記】非日常が得られる JUPITER-12 35mm F2.8はフレア、ゴーストが個性的(作例あり)
ライカに強い影響を受けたメーカーたち 5選
外観や機能こそ、最初の時点でライカとは異なりますが、シャッターの機構や、総合的なコンセプトがライカを下敷きにしている機種はそのほかにも多く存在します。
ここではそんなメーカーを簡単に解説していきたいと思います。
1.Nikon(ニコン)
ニコンM型
ニコンの初期のレンジファインダーは、外観こそコンタックスを参考としています。
しかしながら内部の機構はコンタックスとは別物で、バルナックライカに範をとった横走り布幕シャッターなのでした。
マウントは独自のニコンSマウント。
関連記事
各種のニコン製レンジファインダーカメラについては、こちらの記事で解説しています。
2.Canon(キヤノン)
Canon IID(画像はラピッドワインダー付き)
戦前、精機光学としてハンザキヤノンやセイキキヤノンを製造したCanonは、戦後、独自改良を施したレンジファインダーカメラで隆盛をみます。
戦後のCanonレンジファインダーの特徴は、一眼式ファインダーということ。
そしてファインダーは各種焦点距離に対応できる変倍式となりました。
形状的にも角が丸いライカに対し、Canonは上から見て八角形となっています。
マウントはバルナックと同一のL39マウント。
関連記事
Canon製レンジファインダーカメラとしては末期の機種ですが、完成度が高く人気のCanon Pをこちらの記事で紹介しています。
レンジファインダーカメラ Canon P(ポピュレール)+ RUSSAR 20mm F5.6で日本三大銘茶の産地を訪ねてみた(作例あり)【旅×フィルムカメラ第12弾】
3.Minolta(ミノルタ)
千代田光学(のちのミノルタ)のMinolta-35(ミノルタ35)もバルナックライカの影響下にあるレンジファインダーカメラ。
一眼式レンジファインダー、横走り布幕のシャッターですが、外観は他のどんなバルナック系カメラにも似ていないものとなっています。
マウントはL39マウント。
関連記事
Minolta-35には各種のロッコールレンズが装着されていました。
こちらの記事ではなかでも、標準レンズとしてセットされていたレンジファインダー用ロッコールの作例を紹介しています。
ぜひご覧ください。
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4.Foca(フォカ/フランス)
↑FOCA Universal R
戦後、フランスで製造されたレンジファインダーカメラ。
バルナックライカの影響下にありながら、まったく別のカメラです。
初期のモデルはスクリューマウントですが、バルナックの39mm径ではなく、独自の36mm径のものを採用。
そのほかにも「ドイツのカメラに似たくない」という強い意志を感じる設計となっています。
5.Opema(オペマ/チェコスロバキア)
チェコスロバキアのメオプタ社で製造されたレンジファインダーカメラ。
バルナックライカの影響下にありますが内部は独自設計です。
マウントはこちらもバルナックライカとは異なり、38mm径のスクリューマウントとなっています。
製造元のメオプタ社は、二眼レフカメラのフレクサレットで知られています。
参考
ライカコピーを使ってみませんか?
バルナックライカは、見た目もクラシックならば、操作方法も35mmフィルムカメラの使い方を追体験できる魅力的なもの。
本家バルナックライカももちろんよいですが、調子がよく整備されたニッカやレオタックスもまた、あなたのよき相棒となってくれるでしょう。
また各社のカメラにセットで販売されたオールドレンズを使ってみるのもおすすめです。
使い方は基本的にバルナックライカと同じ。
使い方についてはぜひ以下の記事をご覧ください。
おすすめのL39マウントレンズについてはこちらをご覧ください。
ぜひ、ライカコピーであなたのフィルムカメラ生活に彩りを加えてみませんか?
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更新履歴
2022年7月30日
Melcon、Chiyoca・Chiyotax、Honor、Opemaを除き、抜けていた箇所に画像を挿入。
パテント関連の記述、ニッカIIILとヤシカYFの関係など一部記述を修正しました。
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